東京地方裁判所 平成7年(ワ)15801号 判決 1998年2月02日
原告
鎌倉正明
右訴訟代理人弁護士
田村公一
同
朝比奈秀一
同
吉澤雅子
同
竹谷裕
被告
美浜観光株式会社
右代表者代表取締役
鈴木一正
右訴訟代理人弁護士
桑田勝利
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は原告に対し、金一四二三万五〇〇〇円及びこれに対する平成七年一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が被告に対し、従業員としての退職金、取締役としての退職慰労金をそれぞれ請求するものである。
(争いのない事実等)
証拠掲記のものは、争いのない事実及び当該証拠により認定した事実である。
一 当事者
1 被告
(一) 被告は、ホテル・旅館・食堂・休憩所の経営及び管理等を目的として設立された株式会社である。
(二) 平成六年一一月二六日当時、被告の株式は株式会社ファミリー・インズ(以下「ファミリー・インズ」という。)が一〇〇パーセント所有しており、ファミリー・インズの株式は株式会社鈴木総本社(以下「鈴木総本社」という。)が一〇〇パーセント所有し、鈴木総本社の株式は鈴木一弘が一〇〇パーセント所有していた。なお、現在は鈴木一弘の息子である鈴木一正が右株式を所有している。(<証拠略>、被告代表者本人尋問の結果及び弁論の全趣旨)
被告のように、鈴木一弘が所有する株式等を通じて支配していた一連の会社は、鈴木産業会グループと呼ばれていた。被告会社のほか、鈴木総本社、ファミリー・インズ、新日企業綜合開発株式会社(以下「新日企業綜合開発」という。)、株式会社グランドレジャー(以下「グランドレジャー」という。)、株式会社相良カントリー倶楽部(以下「相良カントリー倶楽部」という。)等がある。鈴木産業会傘下の各社においては、他社への移籍もしばしばみられた。(<証拠略>)また、各社の経理は、いずれも東京都新宿区(以下略)所在コスモス御苑ビル六階にある「電算室」において処理されていた。なお、右ビルの四階は鈴木総本社、被告、五階は新日企業綜合開発、六階はファミリー・インズが入居していた。被告も含め、各社の株主総会及び取締役会は、年に一回、同日に同一場所で、各社ごとに時間をずらして実施されていた。(<証拠略>)
(三) 被告は、西伊豆の戸田にある民宿を改築したホテルを経営し、釣り船事業を行っていた。現地のホテルが本店で、前記コスモス御苑ビルに東京支店があった。部屋数一八、収容人員四五名という小さなホテルで、平成二年から原告が退職するまでの間、東京支店には原告を含めて五名ほど、ホテルに現地採用の従業員が五名ほどいるだけであった。なお、登記簿上は、東京支店は、平成七年四月二四日廃止されている。(<証拠略>)
釣り船事業は、被告の創設者の一人である山田三郎の巻き網漁船「三郎丸(七八トン)」を被告に売却するとともに改造して遊漁船にするという計画であった。
(<証拠略>)
(四) 被告の取締役は次のとおりである。(<証拠略>)
(1) 平成元年四月
代表取締役 恩田英二郎
取締役 佐光繁 小林俊男 山田琳三
(2) 平成二年五月
代表取締役 恩田英二郎
取締役 原告 山田琳三 鈴木一弘 小林俊男
(3) 平成三年五月
全員重任
(4) 平成五年五月
代表取締役 恩田英二郎 原告
取締役 鈴木一弘 小林俊男
(5) 平成六年一〇月
代表取締役 鈴木一正 原告
取締役 鈴木一弘 小林俊男 江遠要甫
2 原告
原告は、昭和五三年に株式会社ファミリーイ(ママ)ンズに入社し、昭和五九年五月、新日企業綜合開発株式会社に移籍して同社の取締役に就任、平成二年五月、被告の取締役に就任し、平成五年五月、被告の代表取締役に就任したが、平成六年一二月二〇日付けで被告の代表取締役を辞任した。
3 被告の就業規則等
本件に関連する被告の就業規則、給与規程、退職金規程は次のとおりである。
(一) 就業規則(<証拠略>)
(1) 一条二項
この規則において社員とは、会社を使用主として労働契約を締結しているもので、給与を支払われている者をいう。この場合、臨時雇用者、嘱託、その他これに準ずる者については特別に定める場合のほかは本規定を準用する。
(2) 二六条
出勤及び退出には次の事項をまもらなければならない。
一号
社員は所定の始業時刻以前に出勤し、必ず本人が自己のタイムカードを打刻しなければならない。
二号
退出するときは、用具、書類を整理格納したうえタイムカードに打刻しなければならない。
三号 略
(3) 四三条
社員の退職金に関する事項は別に定める退職金規程による。
(二) 給与規程(<証拠略>)
基本給のほか、手当として、役職手当、調整給、家族手当、特殊勤務手当、技能手当、皆勤手当、通勤手当等が規定されている。なお、六条五項に、課長職以上の管理職については、欠勤等の場合であっても、賃金を差し引かない旨の規定がある。(<証拠略>)
(三) 退職金規程(<証拠略>)
(1) 一条
この規程は就業規則四三条の規定により、当社社員の退職金について定めるものとする。
(2) 四条
社員が、次の各号の一に該当し完全に所管の業務の引継ぎを完了した者に退職金を支給する。
一号 定年に達して退職するとき。
二号 在職中死亡したとき。
三号 自己都合により退職を願い出て会社が承認したとき。
四号 会社のすすめにより円満退職したとき。
五号 休職期間が満了したとき。
(3) 六条
勤続年数の計算は、次の通りとする。
一号
勤続年数は入社の日より退職の日までとする。
四号
勤続年数の計算は、一か年に満たない月数は月割で計算する。ただし、一か月に満たない日数は算入しない。
五号
鈴木産業会傘下他会社よりの移籍者に限り、原会社入社の日より計算するものとし、それぞれの勤続年限を合算して支給するものとする。
(4) 七条
退職金計算の基礎となる額は基本給とする。
(5) 八条
退職金の額は、次の算式によって計算する。
支給退職金=算定基礎額×勤続年数別支給率
二項 前項の勤続年数別支給率は別表に定める。
(右別表は別紙のとおりである。)
(6) 九条
退職金の支給額の算出は、次の通りとする。
一号
四条一号、二号及び四号の場合、退職時の基本給に勤続年数に応じた別表(勤続年数別支給率表)A欄の率を乗じて算出した額。
二号
四条三号及び五号の場合、退職時の基本給に、勤続年数に応じた別表(勤続年数別支給率表)B欄の率を乗じて算出した額。
(7) 一一条
退職金は、退職の日から原則として六か月以内に支給する。
(争点)
一 退職金請求
1 原告に対し、被告の退職金規程の適用があるか否か。すなわち、原告は被告の従業員たる地位を有していたか否か。
原告は、被告の取締役の名称を有してはいるが、実質的にみると、被告の会社経営上の意思決定に参加していた事実がなく、被告の従業員兼務取締役である旨主張するのに対し、被告は、実質的にみても、被(ママ)告は従業員ではなく、被告の常務取締役、代表取締役である旨主張する。
2 原告に対し適用される支給率如何。
(一) 原告が被告の従業員でなくなったのはいつか。
原告は、同人が被告の従業員でなくなったのは、同人が被告の代表取締役を辞任した平成六年一二月三一日である旨主張し、原告の勤続年数は、昭和五三年九月二一日にファミリー・インズに入社以来、鈴木産業会傘下の新日企業綜合開発、グランドレジャー及び被告に勤務してきたのであるから、平成六年の被告代表取締役退職時までの一六年三か月であるとするのに対し、被告はこれを争い、原告は被告の取締役であり、被告においては当初から従業員ではなかった旨主張する(なお、被告は、原告がファミリー・インズに入社したのは昭和五三年一一月一日であり、原告が被告の代表取締役を退任したのは、平成六年一二月二〇日であると主張している)。
(二) 退職理由は何か。
原告の退職は「会社のすすめにより円満退職したとき」と同視されるか。
この点に関し、原告は、同人が被告代表取締役を辞任し退職したのは、被告の実質オーナーである鈴木一正から、実現困難な要求を突きつけられたからであり、これは「会社のすすめにより円満退職したとき」と同視されるから、勤続年数別支給率表A欄が適用され、支給率は一九・五である旨主張し、被告はこれを争い、原告は自己都合退職であるから、退職金規程別表支給率B欄が適用される旨主張している。
3 原告の「基本給」如何。
原告は、被告の代表取締役を辞任した際、「基本給」として一か月七三万円の支給を受けていた旨主張するのに対し、被告はこれを争い、仮に、原告に支払われていた右金員が原告・被告間の雇傭契約に基づく賃金であるとしても、退職金規程に定める「基本給」は七三万円のうち六割相当部分の四三万八〇〇〇円である旨主張する。
4 従業員としての退職金を鈴木産業会グループ各社から離脱する際に支払う旨の合意の有無
原告は、鈴木産業会各社には、取締役あるいは代表取締役就任時、取締役あるいは代表取締役退任時に、従業員となったときからの退職金を支払う旨の暗黙の合意があった旨主張し、被告はこれを争う。
二 退職慰労金請求
原告に対し、退職金規程に基づいて、取締役としての退職慰労金が支払われるべきか否か。
1 被告の株主総会決議によって、被告の就業規則及び退職金規程は、被告の取締役及び代表取締役の退職慰労金にも適用されるとされたか否か。
2 原告は被告の就業規則一条二項の「その他これに準ずる者」に該当し、原告には被告の就業規則四三条が適用されるとともに、被告の退職金規程が適用されるか否か。
第三争点に対する判断
一 認定事実
1 本件の経過
(一) 原告は、昭和五三年一一月一日、株式会社ファミリーイ(ママ)ンズに入社した。(争いのない事実、<証拠略>及び弁論の全趣旨)
原告は、営業部次長として、レジャー会員権の販売に携わったが、会社の事業がうまくゆかず、昭和五五年八月、相良カントリークラブ(ママ)に出向して、同社の会員権募集のための営業活動に従事し、昭和五六年五月には、鈴木産業会傘下の中央信販株式会社に移籍して、同社で相良カントリークラブ(ママ)ほかのゴルフ会員権の販売活動を行っていたが、昭和五八年初めに、再びファミリーイ(ママ)ンズに移籍し、名古屋営業所を開設して、同所において、相良カントリークラブ(ママ)の会員募集を行った。(<証拠略>)
(二) 鈴木一正は、グランドレジャーの代表取締役専務として、スキー場のリフト増設代金支払のために約束手形を振り出したところ、鈴木一弘の勘気を受け、昭和五七年八月ころ、鈴木産業会グループを離れた。(<証拠略>、被告代表者本人尋問の結果)
(三) 鈴木一弘は、昭和五八年、癌と診断され、国立第一病院で、胆嚢、膵臓の各摘出手術を受けた。(<証拠略)>
(四) 新日企業綜合開発が予定していた晴ヶ峰カントリークラブの開発事業が開始されたことに伴い、原告は、昭和五九年二月、ファミリーイ(ママ)ンズ松本支社を開設、晴ヶ峰カントリークラブの会員権販売を行うようになったが、昭和五九年五月には、新日企業綜合開発株式会社に移籍するとともに、同社の取締役に就任し、松本支社長と名古屋支社長を兼任して、右会員権販売業務を行っていた。平成元年一月、松本支社長及び名古屋支社長の職を解かれ、晴ヶ峰カントリークラブの総支配人に就任し、現地に赴任した。なお、このころから、原告は、原告が取締役である会社の取締役会に出席するようになった。原告は、平成元年二月、新日企業綜合開発の常務取締役に就任した。原告の報酬は、その後平成六年五月まで新日企業綜合開発から支給されていた。原告は、平成二年、総支配人の職を解かれ、新日企業綜合開発の東京本社にて勤務するようになった。平成二年八月ころの新日企業綜合開発企業(ママ)の役員は、代表取締役が恩田英二郎、専務取締役が須藤一美、常務取締役が原告、取締役が甲田義光、戸谷幸子、小泉丈夫、木村行夫、監査役が小林俊男であった。(<証拠略>)
(五) 鈴木産業会会長鈴木一弘は、平成元年八月一一日、今後毎月一回、産業会関連会社間の意志(ママ)疎通等を図るため、定例午餐会を開催することとした。(<証拠略>)原告は、報告の必要があった平成二年四月のものをのぞいては、右定例午餐会には出席したことはなかった。(<証拠略>)
(六) 原告は、平成二年五月一二日、被告の常務取締役に就任した。被告取締役であった佐光繁が退職したため、「その欠員を補充する必要が」(<証拠略>)あったからである。原告は、「三郎丸」を遊漁船として認可を取得する仕事や、釣り客を募って釣り船として稼働させるための営業業務に従事した。(<証拠略>)
(七) 原告は、新日企業綜合開発の常務取締役として、平成三年一月一九日、関連各社に対し、営業方針等を伝える文書を作成した。(<証拠略>)
(八) 被告の平成三年五月の稟議書(<証拠略>)上には、「提案」欄に伊豆原課長、「決裁」欄に小林専務、鎌倉常務の印が捺印されている。その後、平成五年一一月までの稟議書(<証拠略」)もほぼ同様である。人事に関する平成五年一〇月の稟議書上には、原告の決裁印しか存しない。なお、新日企業綜合開発の人事に関する平成五年七月の稟議書(<証拠略>)には、決裁権者として社長恩田、役員小林、木村の押印がされている。被告の平成六年一月以降の稟議書(<証拠略>)の「決裁」欄には原告の印しか押捺されていない。
(九) 原告は、平成三年、株式会社グランドレジャーの取締役に就任した。グランドレジャーは、群馬県水上町にある奥利根国際スキー場を経営していたが、原告は、ゲストハウスの建て替え、眺望をよくするための樹木の伐採に関する地主との折衡等に従事した。被告での業務が暇になる冬季は、スキー場における現場の対応を行っていた。(<証拠略>)
(一〇) 原告は、平成三年九月ころ、新日企業綜合開発の常務取締役として、茅野西山スキー場開発の企画開発を担当していた。(<証拠略>)
(一一) 原告の平成三年一〇月及び同年一一月の各「給与支給明細書」(<証拠略」)には、「基本給」七〇万円及び通勤手当一万九五六〇円の合計七一万九五六〇円が支給された旨記載があるほか、雇用保険として三九五七円が控除された旨記載されている。
(一二) 鈴木一弘は、平成四年秋ころ、肘の骨に癌が転移したため、癌発病部分を切除し、体力も衰え病室内での歩行も困難になったが、平成五年四・五月ころには、東京都新宿戸(ママ)山町にある病室から新宿御苑近くにある会社まで出向くことができるようになった。(<証拠略>)
(一三) 被告常務取締役原告名義の「一二月度営業会議開催について」という書面が作成された(<証拠略>)
被告の平成四年一二月度営業会議の出席者予定者は次のとおりである。本社側からは、代表取締役社長 恩田英二郎、取締役専務 小林俊男、取締役常務 原告、伊豆原敏課長、真島課長、高橋博係長、秋山潔係長であり、ホテル側からは山田弘幸支配人、深澤豊であった。
右営業会議の議題は、一一月度の売上実績及び一二月度の売上目標の報告のほか、美浜観光ホテルの今後の営業方針(ホテルの改装)、釣り船の今後の営業方針等であった。
(一四) 鈴木一正は、平成五年春ころ、月に一回開催される定例産業会ミーティングに出席するようになった。(被告代表者本人尋問の結果)
(一五) 原告の平成五年二月から同年七月までの間の各「給与支給明細書」(<証拠略>)には、「基本給」七三万円及び通勤手当二万一九七〇円の合計七五万一九七〇円が支給された旨の記載がある。雇用保険は控除されていない。
(一六) 被告常務取締役原告名義の「四月度営業会議開催について」という書面が作成された。(<証拠略>)
被告の平成五年四月度営業会議の出席者予定者は次のとおりである。本社側からは、代表取締役社長 恩田英二郎、取締役専務 小林俊男、取締役常務 原告、伊豆原敏課長、真島課長、高橋係長、秋山係長であり、ホテル側からは山田弘幸支配人、深澤豊であった。
右営業会議の議題は、平成五年度の売上目標及び営業方針等であった。
(一七) 被告は、平成五年五月二四日、株主総会決議により原告を取締役に選任し、また、同日、取締役会決議により原告を代表取締役専務に選任した。(<証拠略>)
被告の平成五年五月当時の取締役は次のとおりである。
代表取締役 恩田英二郎 原告
取締役 鈴木一弘 小林俊男
(一八) 鈴木一弘は、平成五年秋ころ、重体に陥り、平成六年の正月一杯危篤状態が続いた。平成六年二月、病室内で身内のものと短時間に限り面談可能となったが、脳神経に癌が転移し、以後平成七年二月二日に死亡するまでそのままの状態が続いた。
恩田英二郎は、鈴木一弘の右のような状態を踏まえ、平成六年一月一五日、鈴木産業会会長に就任したが、鈴木産業会関係者の意向を固めたうえで、同年正月ころ、鈴木一正に鈴木産業会関係企業の経営に参画するよう要請し、鈴木一正は、これをうけて、同年三月末、勤務していた会社を退職して、同年四月以降、鈴木産業会関係企業の経営に携わるようになった。(<証拠略>、被告代表者本人尋問の結果)
(一九) 鈴木一正は、平成六年一月二〇日、被告の取締役に就任した。(<証拠略>)
(二〇) 被告は、原告名義の平成六年一月一一日付け業務通達(<証拠略>)を被告の美浜観光ホテル支配人山田弘幸に対し発した。その内容は、人事等については本社への稟議事項とすること、出張や休みの場合の本社への届け出を義務づけること、勤務時間表、業務日誌、売上一覧表、利用客名簿、予約状況表等を本社に提出することなどを命ずるものである。
(二一) 原告は、平成六年二月ころ、新日企業綜合開発の常務取締役として、茅野市スキー場開発事業に関与していた。(<証拠略>)
(二二) 原告は、平成六年三月及び四月の定例産業会ミーティングに出席した。(<証拠略>)
(二三) 原告は、平成六年四月、被告の実務にのみ専念するようになった。(<証拠略>、被告代表者本人尋問の結果)
被告の代表印は、平成六年中旬以降原告が被告の代表取締役を退任するまで、代表取締役社長恩田英二郎のものではなく、専ら原告の名義の代表印が使用されている。(<証拠略>)なお、捺印簿(<証拠略>)には、原告の承認印が押捺されている。
(二四) 鈴木一正は、平成六年五月、新日企業綜合開発の代表取締役専務に、同年七月、グランドレジャーの代表取締役社長にそれぞれ就任した。(<証拠略>)それまで、グランドレジャーの代表取締役社長だった恩田英二郎は、非常勤相談役となったが、新日企業綜合開発、相良カントリー倶楽部については、従前どおり、代表取締役社長として経営にあたることになった。(<証拠略>)
(二五) 田中喜義が被告の美浜観光ホテル支配人(次長)となった。(<証拠略>)右人事異動には、鈴木一正は関与していない。(原告本人尋問の結果)
(二六) 平成六年六月、原告の報酬は被告から支払われるようになった。
(二七) 原告は、平成六年七月二五日、グランドレジャーの取締役を退任した。(<証拠略>)
(二八) 平成六年一〇月一三日、各社代表役員のミーティングが行われ、鈴木一正から、恩田英二郎の退任が提案された。(<証拠略>)
(二九) 同月一四日、被告幹部会議(出席者は、課長伊豆原敏、美浜観光ホテル支配人田中喜義、美浜観光ホテルフロントマネージャー北浦時男である。)が開催された。(<証拠略>)
(三〇) 恩田英二郎は、平成六年一〇月二一日、ファミリー・インズの取締役を解任された。(<証拠略>)その後、恩田英二郎は鈴木一正に、三〇〇〇万円の支払と引き換えに、すべての関連会社から身を引く旨の申し出を行い、鈴木一正がこれを承諾したことで、この件については決着がつき、恩田英二郎は、平成六年一〇月下旬から同年一一月上旬にかけて、被告代表取締役社長のほか、新日企業綜合開発、ファミリー・インズ、株式会社ベルウッド、株式会社グランドレジャー、竜洋開発株式会社及び相良カントリー倶楽部の各代表取締役社長、並びに伊豆ハイランド株式会社、グランドレジャーの各取締役をそれぞれ退任した。鈴木一正は、平成六年一〇月二一日付けで、被告の代表取締役社長に就任した。(<証拠略>、原告及び被告代表者本人尋問の各結果)
(三一) 被告の平成六年一〇月の取締役は、代表取締役が鈴木一正及び原告、取締役が鈴木一弘、小林俊男、江遠要甫である。(<証拠略>、弁論の全趣旨)
(三二) 原告の平成六年一二月の「給与支給明細書」(<証拠略>)には、「基本給」七三万円及び通勤手当二万一九七〇円の合計七五万一九七〇円が支給された旨の記載がある。雇用保険は控除されていない。二五日が所定労働日数とされ、出勤日数が二一日とされるが報酬が控除されたとは認められない。
(三三) 原告は、平成六年一二月下旬ころの営業会議の席上、鈴木一正から、被告を黒字にするよう要求され、自分にはできない旨回答すると、さらに、できないならあんたどうするんだと詰問されたので、原告は、辞任する旨回答し、一身上の都合により、被告の代表取締役及び新日企業綜合開発の取締役を辞任する旨の平成六年一二月二〇日付け辞任届をそれぞれ提出した。(<証拠略>、原告及び被告代表者本人尋問の各結果)なお、右各辞任届の書式については、原告は総務関係の一番の責任者である小林俊男に聞き、そのとおり記載した。(原告本人尋問の結果)
(三四) 鈴木一弘は、平成七年二月二日死亡した。(<証拠略>)
2 報酬等
原告の平成六年の報酬は、毎月七三万円、夏季賞与一〇〇万円、冬季賞与五〇万円であった。(原告本人尋問の結果)
鈴木産業会傘下の従業員の基本給の最高額は二九万七〇〇〇円であり、被告においてはホテル支配人(次長)田中喜義【平成六年二月】、グランドレジャーにおいては小保内政身【平成八年七月】である。(<証拠略>、弁論の全趣旨)なお、右田中喜義の給与は合計四九万五〇〇〇円(内訳は、基本給二九万七〇〇〇円、役職手当四万円【<証拠略>によると次長にあたる。】、家族手当五〇〇〇円、調整給一五万三〇〇〇円)であり、小保内政身の給与は合計四九万七四八〇円(内訳は基本給二九万七〇〇〇円、役職手当二万円、家族手当八〇〇〇円、調整給一六万円、技能手当一万円、通勤手当二四八〇円)である。(<証拠略>、弁論の全趣旨)
平成六年一一月当時、伊豆原敏の賃金は合計四四万一九七〇円(その内訳は、基本給二五万二〇〇〇円、役職手当二万五〇〇〇円、調整給一四万三〇〇〇円、通勤手当二万一九七〇円)であり、夏季賞与は四八万円、冬季賞与は三三万円であった。(<証拠略>)なお、伊豆原敏の平成五年度の年間賃金合計は七五〇万八六四〇円であった。(<証拠略>)
二 判断
1 退職金請求について(原告に対し、被告の退職金規程の適用があるか否か。すなわち、原告は被告の従業員たる地位を有していたか否か。)
(一)(1) 従業員性の有無については使用従属関係の有無により判断されるべきものと解されるが、具体的には、業務遂行上の指揮監督の有無(仕事の依頼、業務従事の指示等に対する諾否の自由の有無)、拘束性の有無(勤務場所及び勤務時間が指定され、管理されているか否か、人事考課、勤怠管理をうけているかどうか)、対価として会社から受領している金員の名目・内容及び額等が従業員のそれと同質か、それについての税務上の処理、取締役としての地位(代表取締役・役付取締役か平取締役か)や具体的な担当職務(従業員のそれと同質か)、その者の態度・待遇や他の従業員の意識、雇用保険等の適用対象かどうか、服務規律を適用されているかどうかなどの事情を総合考慮して判断すべきものと解される。
本件においては、前記のとおり、原告は、被告において、当初は常務取締役として、後には代表取締役専務として、ホテルの現場の支配人等に対し業務通達を行ったり、課長ら従業員からの提案等に対し決裁を行ったり、あるいは被告の収支につき責任を負うなど、被告の業務及び営業という実務面を統括する役付(代表)取締役として業務執行にあたっていること、原告は取締役会に取締役として出席し、代表取締役に選任された後は、対外的にも代表者として業務執行行為をしていること、原告が被告から受領していた金員は、従業員のそれとは異なり、給与規程に定められた役職手当、家族手当、調整給等の区分が存せず、金額自体も従業員の賃金より相当程度高額であること、右金員は、原告が被告の代表取締役専務就(ママ)任した後まで、新日企業綜合開発から支払がなされていたこと、原告が被告の代表取締役を辞任する際も、(代表)取締役としての辞任届を提出するのみで、従業員としての辞任届出等は提出していないし、また、その提出が求められてもいないこと、原告は被告以外の会社についても常務取締役や取締役に就任していたこと、雇用保険料についても、当初は控除されていたものの、後にこれの控除もなくなっていること、原告は、勤務場所及び勤務時間の指定を受けておらず、勤怠管理を受けていなかったことなどの事情が認められるのであって、これらの諸事情を総合考慮すると、原告が被告との間で使用従属関係にあったとはこれを認めることができない。
(2) この点に関し、原告は、被告の取締役の名称を有してはいるが、実質的にみると、被告の実質的な経営の判断・決定・執行は、すべて鈴木一弘、恩田英二郎、鈴木一正により行われており、原告が被告の経営上の意思決定に参加していた事実がないから、原告は被告の従業員兼務取締役である旨主張する。
しかしながら、業務執行担当取締役の業務執行権とは、会社の対内的な職務執行権であり、会社の営業に関する種々の事項を処理する権限であって、具体的には株主総会、取締役会の決議を実行に移すほか、日常的な取締役会の委任事項等を決定し、執行すること、すなわち、対外的代表行為を除く会社の諸行為のほとんどすべてを行う権限をいうところ、ときには長靴姿で釣り船を稼働させたことがあり、あるいは、原告の有する権限が、代表取締役社長であった恩田英二郎の有する権限よりも小さいものであったとしても、原告は、前記のとおり、決裁権者として被告の経営の意思決定を行っているほか、自ら自認するとおり、ホテルにおける集客や仕入れの交渉を行うなど、被告の事業及び営業現場を統括する総責任者として、ホテル等現場の支配人等を指揮監督し、被告の業務執行にあたっていたのであるから、原告の前記主張には理由がないものといわざるを得ない。
(3) また、原告は、自らは名目上の取締役及び代表取締役であって、実質的な代表者である鈴木一弘及び被告代表者社長恩田英二郎の指揮命令に従って業務に従事していたとも主張している。
しかしながら、指揮監督の有無は、前記のとおり、従業員性を判断する上での一要素とはいえるけれども、この点のみを理由に、当然に従業員性を肯定できるものでもない。実務上は、会社の組織機構を統一的なものにし、かつ、組織運営をスムーズにするために、多数存在する(代表)取締役の間に上下関係を定めるとともに、それぞれの統括分野を決めることによって、指揮命令系統を明確にすることは多くの企業において行われており、例えば、複数いる代表取締役のうちの一名が、社長として他の業務執行権をもつ取締役を指揮監督して業務執行全般を統括しており、副社長、専務取締役は、会社の業務執行につき権限をもって社長を補佐し、常務取締役は、対内的な業務執行を、営業、総務、経理などのように分け、それぞれの担当分野を指揮・統括するといった例が少なくないと思われるが、このような場合、社長以外の取締役が、社長の指揮監督を受けることを理由に、すべからく当然に従業員性を有するということにはならないのである。
ところで、本件においては、前記のとおり、被告の稟議書(<証拠略>)には、代表取締役恩田英二郎の捺印がないものも少なからず存することや(一方、新日企業綜合開発のものについては社長恩田英二郎の捺印が存する。<証拠略>)、恩田英二郎は、多くの会社の代表取締役社長等を兼任していたことなど、前記認定の諸事実に照らせば、原告が、恩田英二郎から、通例みられる代表取締役社長からの指揮監督の程度を超えて、雇傭契約関係に存するような指揮監督を受けていたとは認めることができない。
また、本件において、鈴木一弘が原告を直接指揮監督したと認めるに足る証拠もない。原告の下でフロントマネージャーをしていた北浦時男の申述書(<証拠略>)にも、鈴木一正社長がワンマンである旨の記述はあるが、鈴木一弘が原告を指揮監督していたことを窺わせる記述はない。鈴木一弘が、株主でもあることから、かつて、鈴木産業会各社を強力に支配していたことは窺われなくはないけれども、同人の病状の推移やその他前記認定の諸事実に照らすと、原告が、被告の取締役として稼働していた際に、具体的な業務執行にあたって、鈴木一弘から直接、指揮命令等を受けていたとは認めることができない。
(4) なお、原告は、同人が代表取締役に就任したのは、鈴木産業会傘下の会社相互間での金銭の貸付等をする場合に、各社の代表取締役をつとめる恩田英二郎以外に代表取締役が必要であったからであり、原告が代表者になったのは名目にすぎない旨供述しているが(<証拠略>)、原告の右供述のとおりであれば、原告の代表取締役就任前後を通して、少なくとも、被告には、代表取締役が二名以上存するはずであるが、実際には、被告の代表取締役は、原告が代表取締役に就任する以前には、社長である恩田英二郎が唯一の代表取締役であり、また、原告辞任後も、代表取締役は社長である鈴木一正のみであって(<証拠略>)、原告の右供述は採用できない。前記のとおり、原告の承認のもとに、原告の代表印が使用されていることなどにも照らすと、原告が代表取締役に就任したのは名目にすぎないとは認めることができない。
以上のとおりであるから、原告は被告の従業員たる地位を有していたとはいえず、原告に対しては、被告の退職金規程の適用はないものというべきである。
(二) ところで、原告は、昭和五九年五月に、新日企業綜合開発の取締役に就任する以前に、従業員たる地位を有していたことは争いのないところであるが(なお、その後に従業員性が、なお存したかについては、本件においてはこれを認めるに足る証拠がない。)、右退職金を被告に対し請求できないか否かが問題となる。
この点に関し、原告は、原告に対して従業員としての退職金が支給されていないことなどを理由に、鈴木産業会各社には、取締役あるいは代表取締役就任時、取締役あるいは代表取締役退任時に、従業員となったときからの退職金を支払う旨の暗黙の合意があった旨主張する。しかしながら、本件全証拠に照らしても、鈴木産業会各社の取締役等が退任した際に、従業員としての退職金も併せて支給する旨の取扱いが確立されているとは認めることができないし、又、原告との間で、右のような合意が成立したと認めるに十分な証拠もない。
なお、本件においては、原告が従業員性を喪失した当時、発生した退職金の金額を認める証拠も存しない。
(三) 以上のとおりであるから、原告の退職金請求は理由がない。
2 退職慰労金請求(原告に対し、退職金規程に基づいて、取締役としての退職慰労金が支払われるべきか否か。)
原告は、被告の株主総会決議によって、被告の就業規則及び退職金規程は、被告の取締役及び代表取締役の退職慰労金にも適用されるとされた旨主張する。しかしながら、本件全証拠に照らしても、被告の就業規則及び退職金規程を、取締役にも適用する旨の株主総会決議があったとは認めることができない。被告の代表取締役社長であった恩田英二郎に対しては三〇〇〇万円の退職慰労金が支払われているが、右金額が被告の退職金規程に基づいて算出され、被告から支払われたとは認めることができない。
また、原告は、同人が被告の就業規則一条二項の「その他これに準ずる者」に該当し、原告には被告の就業規則四三条が適用されるとともに、被告の退職金規程が適用される旨主張するが、前示のとおり、原告に対しては従業員性が認められないから、就業規則の適用が予定されているとはいえず(現に給与規程等は適用されていない。)、したがって、原告の右主張もまた採用できない。
したがって、原告の退職金(ママ)慰労金請求は理由がない。
第四結論
以上のとおりであるから、その余の点については判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がない。
(裁判官 三浦隆志)
(別紙)
『別表』
勤続年数別支給率表
<省略>